Autobianchi A112

日本における小さなイタリア車といえば、フィアット・チンクエチェント、パンダ、そしてこのアウトビアンキA112が挙げられるでしょう。
80年代初頭、鳥山明さんの大人気マンガ「Dr.スランプ」などでも活躍したA112ですが、意外にその歴史は古く、デビューはなんと1969年。
小さいボディながら、大柄男性がしっかりと乗れるような空間や、何より圧倒的な運転の楽しさを味わえる納得の一台です。

ノスタルジアと楽しさが共存

70〜80年代の直線的なデザインと異なり、ややノスタルジックで丸みを帯びたデザインのA112は、60年代の雰囲気も持ちあわせたクルマです。
60年代半ば、イタリアのインノチェンティ社がライセンス生産を行ったせいもあるのですが、イギリスのMINIが大流行しました。
何を隠そう、A112はこのMINIに対抗するべく作られたという背景があります。
内部構造的には古典的なMINIに対して、A112には新しい技術や素晴らしいサスペンションが採用され、お手頃価格ながら燃費もよく、小気味の良い走りが楽しめる、典型的なイタリア車の楽しさを味わえる一台として瞬く間に人気を博しました。
ちなみに作者はあのフィアット500 を生み出したダンテ・ジアコーサさん。使いやすさと可愛さをカタチにする大巨匠です。

あのビアンキと同じ

アウトビアンキという名前でピンとくる人もいるかもしれませんが、ご存知、イタリアを代表する自転車メーカー、ビアンキと元は同じ会社です。
ビアンキ社の自働車部門という名前を意味する「アウトビアンキ」AUTO(イタリア語で自働車を意味します)+BIANCHIというわけです。
ちなみに、イタリアが世界に誇る名門老舗ブランドであるビアンキは、日本とは比較にならないほどリスペクトされており、写真のような旧いビアンキのレーサーはまさにレジェンド扱いをされています。

なお、自転車はエドアルド・ビアンキさんが、自動車部門は孫のジュゼッペが立ち上げたもの。
1955年から68年まで存在し、その後はFIATとピレリ社が株主となり引き続きFIATのパーツを流用する形で自社ブランドの車両を生産。
戦略的にフィアットよりも高級なラインを受け持ち、雰囲気のたっぷりの内外装デザインで「小さな高級車」という評判を確立しました。
残念ながらアウトビアンキの名前は1992年で潰えてしまいますが、現在も存在するランチア・イプシロンというクルマ。
これはA112の末裔です。

History of A112

1969年から1986年まで実に8世代(実質第7世代)まで生産されたA112。細かな変更こそあれ全体のシルエットに大きな変化はなく、実に20年近くも生産され続けたことになります。
もちろんアウトビアンキ史上最大のヒット作であることは言うまでもありません。イタリア以外でもフランスや欧州各国で人気を博し、今も熱烈なファンがヨーロッパ中に存在しています。
そんなA112シリーズを、大きく7つの変化を当時のカタログや広報資料をもとに振り返ります。

イタリアのMINIに対する回答 第一世代

1969年ですが、内外装のデザインは60年代というよりはずいぶんとモダンな雰囲気を持つA112。
雰囲気こそMINIっぽさがありますが、数々の革新的かつ快適な装備を満載したA112はデビューと同時に大人気を博します。

最初期型こそパーキングブレーキがフロントだったりしますが、すぐにそれ以降と同じリアに変更。それ以外はグリルの意匠の違いがメインとなります。ボディと同色のパネルを用いたノルマーレ、落ち着いたカラーリングにタコメーターなどを搭載し、やや大人びた雰囲気をもつエレガントが当初のラインナップ。

1971年にはA112の代名詞ともいえるABARTHバージョンがついにデビューします。しかし、まだこのころの最高出力は70CVではなく58CVでした。

第一、第二? 実際はどっち? 第二世代

実質は1974年の納車分からが第二世代なのではないでしょうか。事実、第二世代登場後もしばらくは第一世代が併売されていたといいます。実にイタリアっぽい話です。
74年の12月からアバルトバージョンが1050ccまでボアアップされ、シリーズ1の58CVに対し70CVに増強されたことが最大のトピックでしょう。
ただし、新型が登場した後も58CV版が併売されていたようです...。

格子型になったグリルや、室内にファブリックが採用されるなど文字通りマイナーチェンジを受けますが、正直第一世代と大きな差はありません。

ちょっとだけパワーダウンな時代? 第三世代

排ガス規制の嵐が吹き荒れた74年以降の第三世代。内装に樹脂が使われたエレガントなどが登場の他、僅かながらエンジンの出力が低下します。輸出を意識したモデルではないので、それほど排気ガス規制の影響があったとは思えないのですが...。 外観に大きな差が見られないので、ここまでを実質「初期型」と呼ぶケースが多いですね。

プラスチック成分増加! 第四世代

実質的には最初のモデルチェンジとも言えるのがこの第四世代。フロントフェイスやテールレンズをはじめ、内装も急に樹脂の多用がはじまります。

樹脂マシマシ 第五世代

日本に導入された最初の世代がこの第五世代。特徴的なフロントマスクから「ひげ」などと呼ばれていました。サンルーフなどがオプション設定され、ポップな感じが強調されているのも80年代らしいところです。
ノルマーレ(区別上イタリアではこう呼ばれていますが、実はモデル名ではありません。)、エレガント、アバルトの三種のラインナップに、新たにエリートが追加されました。
高級紳士服地メーカーのゼニアの生地を用いたシートや、モケット貼りの荷室を持つゴージャスエディション。アルミホイールが標準だったり、5速MT(エレガントは4速)という仕様でデビューしました。

日本でA112といえばこの世代 第6世代

最も日本で売れたのがこの第六世代ではないでしょうか? かくいう私も乗ってましたw
日本でも最も馴染みが深いのがこのシリーズ6。こうしてみるとA112としては晩年のモデルだったということになります。
シリーズ5で登場したエリートがエレガントとカブり気味だったため、ここにきて長年続いたエレガントシリーズが消滅してしまいます。
ところが、今度はLXというこれまたエリートとの差がわかりづらいモデルが登場。(グループ会社のランチアではLUXをイメージさせるLXという名称を使用していた)またしてもゴタゴタが生まれてしまいます。
この世代からサンルーフや電動ウインドウなどがオプション設定され、人気のマルゲリータとよばれるアルミホイール(写真のお花っぽいデザインがそれ)が用意されました。

ついに終焉のとき 第7,8世代

第6世代を基本に、ラジオのアンテナがおでこの部分についたり、内装がちょっぴり豪華になったり、ウインカーレンズがオレンジからクリアになったり、オプションのハロゲンランプやデジタル時計が標準になるという小変更がなされた第7世代。本質的なA112時代の終焉が近づいてきます。

翌1986年には、在庫パーツで組み上げたジュニアが販売され、シリーズ8と呼ばれているケースもありますが、あまりにも細かい変更なのでここではシリーズ7を最終とさせていただきます。
名物のアバルトが存在したのはこの第7世代までですし...。
長きにわたり生産されたA112ですが、ボディのフォルムこそ基本シリーズ1からかわらないものの、モールやバンパーなどの違いで一瞬別のクルマか? というくらいの変遷を遂げています。


みなさんはどのシリーズがお好みでしょうか?

 All pictures courtesy of original catalog FIAT S.p.A (Stellantis N.V.), edited by mabuchimotors

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