FIAT 126

今を遡ること50年以上前、1972年11月1日にトリノ自動車ショーで発表されたFIAT126は、あの名車「500」に代わる存在として生み出されました。実はこの126。VWのカルマンギア(Type34)のデザイナー。セルジオ・サルトレッリさんの作品。
ですが、弊社の推しモデル127を生み出した、早逝の天才Pio Manzùが1968年にデザインした「City Taxi」コンセプトカーからスタイルの要素を取り入れて製作されています。
ご覧いただくと、ちょっとリアなどその面影が強く残っているのがわかりますよね?

500とは違うオシャレなミニカー

まあ、それはそれとして、126はエンジンの位置など、メカニカルな構造こそ500をほぼほぼ継承しつつも、課題だった安全性の向上を実現したモデル。燃料タンクは前のトランクから後部座席下へ移動され給油も楽ちんに。また、ダブルクラッチ不要のシンクロ付き4速トランスミッションで、より操作性も向上されています。エンジンの排気量は594 cm³になり、出力は16 kW(23 PS)に向上。街乗りもスイスイとこなします。
丸っこい500からガラッと変わった角型のボディは、ホイールベースこそ500と同じながらも、より広々とした室内スペースを確保しており、後部座席に無理をすれば大人二人が押し込められるくらいのスペースは確保されました。

FIAT126 personal

1976年11月から登場した第2世代では、「エコノミカ(もしくはBase)」、「ペルソナル(パーソナル)2P」〜後部座席が取り外しが可能なタイプ)、「ペルソナル(パーソナル)4P」〜後部座席固定式タイプ)の三種が登場。外観上は、初期型のクロムメッキバンパーが黒いプラスチック製になり、サイドモールも追加。随分と雰囲気が変わりました。
翌年1977年7月には、エンジンの排気量が652 cc(17 kW、24 PS)になり、1980年に入ると、これまでのモデルとは異なるブラウンとレッドの特別色が用意され、前席の調整可能なヘッドレスト、着色断熱ガラス、鍵付きの燃料キャップなどが新たに標準装備として追加されました。ちなみにこの特別モデルからポーランドのFSM工場で生産されています。

イタリアでも結構多く販売された126ですが(なんだかんだで135万台以上は売り上げている)、79年の7月にはイタリア国内工場での生産は終了します。ところがポーランドのFSM工場ではその後も生産が続けられ、同国のポルスキ社にライセンス生産されるなどの経緯を経て、なんと2000年まで生産が続きその数なんと330万台にものぼりました。



ちなみにポーランドにおける126はまさに国民車の代名詞。Maluch(ちびっこ的な意味)というニックネームとともに、ポーランド以外にも東欧諸国では今も愛され続けている名車です。
いまでも126のチューンやイベントが絶えないのは、こうした歴史的背景によるものだったりします。
ちなみに、数年前にトム・ハンクスが乗っていると評判になった126はこのポーランド製ポルスキフィアット126です。

また、変わり種も存在しており、126はオーストリアでもシュタイア・プフ社で生産された(メルセデス・ベンツのGクラスの生産で有名Steyr Puch)モデルも存在します。
こちらは、実はオールアルミ製の水平対向二気筒エンジンを搭載しており、643CCの排気量からパワーやトルクがさらにアップされ、ZF製のトランスミッションを搭載するなど、外見は126であるものの、中身は完全にスペシャルな126としてごく一部のマニアのハートを鷲掴みにしています。

さて、長くなったうんちくもここまで。単純に126にてを出そうとしているのは、ちょっと手を加えたエンジンと足回りを搭載したものを日本に導入したいからです。
というのも、安価にかつ便利にリアエンジン・リアドライブの操縦が楽しめるという点で、実は126がかなりイケてる選択ではないかと思っているからです。まったくの個人的な感想ですし、思い込みですし、勘違いとも言えるかもしれません。

でもこんな楽しそうな映像とか見ちゃうと、ちょっとやってみたくなるじゃないですか…。

というわけで、目下きれいなボディの初期型を探していますので、見つけ次第「あたらしい126」のプロジェクトをスタートさせたいと思っています。
アバルトを多く手掛け、レースで活躍したモトリスタ、ミラノの老舗カム屋、Colombo & Barianiや、モデナのチューナーGozzoliたちの協力の下、いろいろやってみますw。

乞うご期待!

Previous
Previous

FIAT PANDA(141)